バブルに踊らされた昭和後期から平成初期、不動産業界にはいったい何が起きていたのか-。
井口克美の“住まいるup”、第5回目と第6回目は特別企画として「不動産バブル再来」に思う1989年当時の狂騒曲です。
おぼろげになりつつある当時の状況を、記憶を頼りに、少しでも鮮明にお伝えすべく、これまでとは文体を変えながら、前編・後編でお届けします。
当時のバブルを知る世代は「あったなぁ」と懐かしみながら、当時を知らない若手世代には「世代間ギャップネタ」として気楽に読んでいただけたら幸いです。
新型コロナウイルス禍における株価の高騰と不動産業界の好調は「不動産バブル再来」に映る人もいるでしょう。この特別企画が、かつてのバブル崩壊からの教訓として、不動産業界全体の更なる発展につながることを願いつつ。
目次
日本中がバブルに沸いた平成元年、日経平均史上最高値を記録したが…
元号は「昭和」から「平成」に-。日本中がバブルに沸いた平成元年の1989年12月29日(金)、年内最後の取引日「大納会」で日経平均史上最高値を付けた。終値は38,915円87銭、取引時間中の高値は38,957円44銭。バブル経済を象徴する記録だった。その年の1月4日、大発会の朝、30,165円52銭で始まった日経平均は、8,750円35銭、実に29%増で幕を閉じた。
泡のように膨らむ株価と景気。だが、「このまま1990年は4万円、いや5万円を記録する」と予測する専門家の声をあざ笑うかのように、1990年スタートと同時に、膨らんだ泡は限界を迎えつつあった。まさにバブル経済終焉の始まりだった。日経平均の下落は、地価、GDP、雇用を直撃し、景気は一変。特に雇用では、空前の売り手市場から買い手市場に。1970年~1982年生まれの氷河期世代を生む引き金となった。
バブル終焉元年の1990年から30年後、インバウンド特需による好景気で迎えた2020年の幕開けは新型コロナウイルスの出現だった。世界中の社会情勢と経済を襲ったウイルス。日本国内も例外ではない。新型コロナウイルス関連のニュースが、連日のように新聞・テレビ・ネットニュースで取り上げられる。
記事執筆中の2021年5月17日時点でも、3回目の緊急事態宣言が延長される厳しい日々は変わらない。唯一の明るいニュースは、国内におけるワクチン大規模接種が始まったことだろうか。
現在の不動産バブルは、長く続くwithコロナが遠因か
新型コロナウイルス禍による世界規模の経済的損失-。本来であれば株価や不動産価値は大幅に下落し、大混乱に陥ってもおかしくはない。だが、この逆境の中でも日経平均株価は3万円超を記録し、都心のタワーマンションは順調に売れている。
海外渡航制限、県をまたぐ移動の自粛、不要不急の外出自粛、在宅ワークの推奨など、おうち時間増の影響もあり、本来消費されるはずの資金が余剰し、株式や不動産業界に流れているとの考察もある。業界の一部からは「まさにバブルの再来のようだ」との声も挙がっている。
「バブルの再来-」。昭和後期から平成初期のバブル経済は、今でも脳裏に焼き付いている。新型コロナウイルス禍における株価の高騰と不動産業界の好調は、確かに「バブルの再来」に映る人もいるだろう。ただ、当時を知る一人として、「あのバブル経済」は本当にとんでもない時代だったとしか言いようがないほど、強烈な印象が今でも鮮明に残っている。
不動産業界にも、当時のバブルを知らない世代が増えている。バブルの恩恵を受けることなく、就職活動で辛酸をなめた世代には、「当時の状況を知る由もない」、と表現した方が適切だろうか。
むしろ、バブルを知らない世代からは「バブルが弾けるのも当然」「計画性が何もない」「氷河期世代の責任を取ってほしい」と指摘されても仕方ないほど、今考えると「踊らされていた」時代だった。
「不動産は今後も値上がり続ける」を信じて疑わなかった時代
大学卒業とともに株式会社リクルートに入社した1987(昭和62)年、地元関西もバブルの膨らみは加速していた。ここで、当時のマンションマーケットを理解する上で、押さえておくべき常識がある。それが「新築マンションより、中古マンションの方が高い」だ。
「そんなことがありえるのか?」との疑問は当然だろう。理由は単純だ。新築マンションの価格は急激な価格上昇を抑えるために国土法(国土利用計画法)による上限設定の存在だった。対して、中古マンションは価格上昇率に関係なく、購入希望者がいればそれが事例となり、相場を形成する流れだった。
この歪(いびつ)な構図の背景こそ、「不動産は今後も値上がりが続き、将来価値を見越して評価する」という、まさにバブルの発想そのもの。結果、新築マンション価格より高価格で中古マンションが取引される。新築マンションが未完成の間に契約し、竣工後に引き渡しを受ける頃には購入価格を大幅に上回る現状。このように、新築マンション誕生時には、一攫千金を求める人々が後を絶たなかった。
そして、不動産業界はもとより、バブルの更なる膨らみを後押ししたのが銀行を代表とする金融機関であり、不動産の将来的な価値を過大評価し、融資を積極的に実行した。不動産を担保に、更なる融資のオマケつきの狂乱ぶりだった。
業者間転売や土地転がしで利ザヤを稼ぐ業界関係者も
そんな美味しい話を、業界関係者も放っておく理由はない。インターネット黎明期の昭和後期から平成初期。今以上に情報は限られており、またその鮮度が、お金に比例した。情報が先に入る不動産業界関係者の中には、仲介手数料で満足する訳もなく、自ら中古マンションを購入し、業者間で転売を繰り返すことで利ザヤを稼ぐ者もいた。土地の売買、いわゆる「土地転がし」なんて言葉もよく耳にした。これらの行為が更なる相場の上昇要因となっていた。
一部の不産業界関係者が潤っていたことは誰の目にも明らかだった。大阪屈指の高級歓楽街・北新地をはじめ、関西を代表する歓楽街・繁華街では企業勤めではない不動産業界関係者の姿をよく見かけたものだ。高級外車、ダブルのスーツ、脇にはポーチ。あたかもバブルの恩恵を享受する者の「三種の神器」かのように映った。
そして、女性お笑いタレント平野ノラがネタにしている大型の携帯電話も忘れてはならないバブルアイテムだろう。もちろん、ギャグではなくステータスの一種として持ち歩く姿が、懐かしい。
今でこそ「こんな特需が長く続くはずがない」と思うことだろう。だが、当時は業種問わずに会社員の給料は右肩上がり。就活の時期には優秀な人材を逃さないために、内定前から「温泉旅行」「料亭懇親会」などが開催されるほど異常な景気だった。危うさを感じながらも、この状況が続くとの空気感に包まれていた。いや、もしかしたら、バブル景気の終焉を、誰もが認めたくない深層心理から生まれた空気感だったかもしれない。
金融機関の積極融資とアナログによる時代背景が生んだ狂騒曲
また、営業担当者から「今の住宅ローンで返済する1万円は、インフレで将来的にはもっと1万円の価値が下がりますので、返済負担はどんどん楽になっていきますよ。不動産はインフレに比例して価格が上昇するので資産としてとても有望です」と説明された記憶もある。
マンション価格は上昇を続け、インフレによる返済負担の軽減-。今のうちに買わないと買えなくなる、更には損をするとの焦りも、購入意欲を搔き立てるには十分だった。
バブル経済真っただ中においても、ある種異様な不動産マーケットだったからこその面白いエピソードも少なくない。その前に、昭和後期から始まったバブル時代において、一部の富裕層や先進的な企業&教育機関をのぞき、一般的には浸透していなかったアイテムの紹介が欠かせない。
携帯電話、インターネット、パソコン、カーナビ、もちろんスマホはなければSNSやYouTubeなどあるはずもない。通信手段のメインは固定電話、FAX、ポケットベルであり、公衆電話で使用するテレホンカードが誰の財布にも入っていたことだろう。当時の企画書や提案書は全てシャーペンによる手書きだったことも付け加えておく。
昭和50年代後半以降の世代には想像すらできない世界だろう。では、どうやって仕事をしていたかと言えば、あの時代にはそれが普通であるから、あるもので仕事をしていたとしか言えない。わずか30~40年前のことだが、おそらく今から30年後の2050年代には、今の2021年が同じように滑稽に映るかもしれない。
日本中が泡のような居心地の良さに身を委ね、いつまでも夢見心地が続くと信じて疑わなかった時代。実体のない泡が奏でる狂騒曲に酔いしれ、競うように不動産投資に走る人々-。「不動産バブルの再来」との声を聞く令和3年の今、改めてバブル狂騒曲を振り返る。
後編へ続く >>
井口克美の”住まいるup”
オウンドメディア「crel@b(クリラボ)」の住宅評論家コラム。「関西の不動産業界のことならお任せ」の住宅評論家・井口克美氏が、「新築マンション事情」「戸建て事情」「首都圏と近畿圏の違い」「業界あるある」など、様々な角度から真面目に、時には面白おかしく皆様の「住まい」と「スマイル」のアップをお届けします。一般社団法人住まいる総合研究所代表理事。